信濃国分寺

信濃国分寺は天平十三年(741)の『国分寺建立の詔』により上田に造られることになり、770年頃には伽藍が整備されたと推定される。
寺伝には承平八年(898)の平将門と平貞盛の戦いの際に兵火で焼失したとある。
現在この天平伽藍は史跡公園として整備され、横に信濃国分寺資料館がある。

信濃国分寺の南側に千曲川が流れていて、7世紀以降に整備された古代官道である東山道が千曲川沿いに整備され、その通り道に駅(うまや)が置かれていたこととの関りがあったたのだろうか。
上田には東山道に浦野駅と日理駅(わたりのうまや)が置かれていたという。

信濃国分寺仁王門と石標が国道18号線沿いにあり、
右の道を行くと現在の国分寺境内にでる
天平伽藍横に信濃国分寺資料館がある
昭和の発掘調査で僧寺と尼寺が並んでいる全国
的にまれな伽藍が確認された

右境内が僧寺で上から講堂・金堂・中門・南大
門と縦に並び、横に僧坊と塔があった

左境内は上から尼坊・講堂・金堂と縦に並んで
いた
史跡信濃国分寺と現在の国分寺境内の地図

現在の信濃国分寺本堂は天平伽藍の北側を通る国道8号線を跨いだ先にあり、旧伽藍にあった講堂・金堂・南大門と主軸線を合わせて建っているという。

信濃国分寺国分寺本堂 日本遺産信濃国分寺三重塔 全高20.1m 国指定重要文化財
天台宗の寺院で本堂は薬師堂と呼ばれている
万延元年(1860)に竣工した

平安末期に源頼朝公発願でここに移されたとされる
塔内に建久八年の墨書があったとされるが様式上
室町中期の建立と推定される
昭和七年から八年にかけて全面解体修理が行われた
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