雨宮渡・妻女山・海津城

雨宮渡・妻女山・海津城は上信越自動車道の更埴ICの東にある。
当時の千曲川は雨宮渡・妻女山・海津城のに近いところに流れていたが、現在は北に移動して離れた。

雨宮渡 (あめみやのわたし)

雨宮渡は往時北国街道の要衝にあって、渡船場として川中島平の死命を決するほどの拠点だった。今は千曲川の流れも北に移り、昔時をしのぶよすがもない。
これを地元の先覚者は惜しみ、謙信奇襲の川中島合戦を詠んだ頼山陽の直筆を得てここに碑を建立し渡河地点を保存す。           地元案内書より     

雨宮渡渡案内図 map of Amenomiya-no-watashi

頼山陽の碑
鞭声粛粛夜河を過る 暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨なり十年一剣を磨き 流星光底に長蛇を逸す
頼山陽石碑の横に碑文が英語と並記されていた桜樹に囲まれた史跡 雨宮の渡
2023.4/2雨宮の渡に近いあんずの里を訪れたあんずの里 

妻女山

 妻女山は永禄四年(1561)9月10日の第4次川中島合戦のおり、越後の上杉謙信が陣を設けた山。ここから川中島平が一望でき、海津城の動静をうかがい知ることができた。
9月9日、海津城からもくもくと立ち上がる煙を見た謙信は武田方の戦いの準備を察し、その夜山を下り、雨宮渡を渡って八幡原の信玄の本陣を目指した。
                        現地案内より

妻女山にある案内川中島合戦図
松代妻女山招魂社
明治二年第十代真田幸民が建立
戊辰戦争:真田藩士52柱の戦死者を祀った
日清戦争~太平洋戦争の戦死者を合祀
罹災横死供養塔


妻女山下の松城町岩野集落と岩野橋,
川は見えない

妻女山上にあった篝火
謙信は夜、妻女山から下るときに篝火をとも 
したままだったと言われている
妻女山から千曲川の流れが見えた
妻女山に陣を置いた謙信がここで槍の石突 
で地面を突いたところきれいな水が湧きだ 
したという

海津城

 海津城は武田信玄の命で山本勘助が築城、永禄三年(1560)に完成した。
三方を山に囲まれ、西に千曲川が流れる地形を巧みに利用した堅固な城だった。
激戦になった第4次川中島合戦では、信玄がここを基地として出撃した。
                        長野市史跡ガイドより

松代城にある海津城址の石碑松代城から望む妻女山、手前尾根の右端
千曲川は海津城(松代城)の本丸の西側を流れていた
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