【 寄道 】良寛さん

 江戸時代の後期に一人の禅僧として生きた良寛りょうかんは、天性の詩才に恵まれおおらかな人間愛にあふれた詩や歌をよみ、独自の光彩を放つ書を多く残しています。
 良寛は宝暦8年(1758)に、現在の三島郡出雲崎町で生まれました。18歳で仏門に入り、3年後に備中の国に赴き修行を積み、その後修行の旅を続け、38歳に越後の国へ戻っています。
 越後に戻ってからは国上山くがみやまにある五合庵を中心に仮住まいの生活を続け、以来約20年間を過ごした後、国上山の麓の乙子神社の庵に移りました。69歳になり、国上山の厳しい寒さを案じた三島郡和島村の木村氏の招きにより、木村邸の小庵に移り住み、74歳で亡くなっています。
      国上山朝日山展望台の看板より 環境省・新潟県 抜粋

良寛定住の地 分水(燕市)

五合庵の逸話
 便所に続く縁側の下からタケノコが生えてきたきました。良寛さんはタケノコの頭が縁側の板につかえないように、縁側の板を丸く切り取りました。さらにタケノコが伸びてきて、便所の屋根につかえそうになりました。そこで良寛さんはロウソクの炎で屋根に穴をあけようとしました。
しかしながら、屋根だけでなく、便所そのものも燃えてしまったのです。
                  「良寛逸話 いろいろ 一般財団法人良寛会」より
 この話は私が子供のときによく親から聞かされ、絵本でも読みました。

五合庵 五合庵内部
長岡藩の牧野公から城下に寺を用意するから
と招かれた時に、この句でやんわり断った
 焚くほどは風が持て来る落葉かな
            五合庵横の詩碑
この里にてまりつきつゝ
子ともらとあそふ春日は暮れすともよし
国上寺こくじょうじ 越後最古の真言宗の名刹
五合庵はこの寺の敷地にある
千眼堂吊橋 
吊橋の向いに五合庵、手前に朝日山展望台
展望台からは大河津分水が俯瞰できた 
良寛 安田靫彦 画 良寛 遍澄 画
遍澄は16歳の時に良寛の弟子になった
かすみたつなかき春日を子ともらと
    てまりつきつゝけふもくらしつ 
        こしの千厓 画
白妙の衣手寒し秋の世の
   月なかぞらに澄み渡るかも 良寛
向ひゐて千代も八千代も見てしがな
   空行く月のこと問わずとも 貞心尼
      貞心尼と良寛 安田靫彦 画

良寛の書 いろは 一二三 南無阿弥陀仏    国上山ビジターセンター展示(複製)

良寛が托鉢に出かけた時に子供らから
頼まれて凧用の紙に書いたとされる
天上大風  良寛書(複製)
敬上憐下 良寛書(複製)
上を敬い 下を憐れむ
夕ぐれの岡 大河津分水路渡辺橋上流
托鉢を終えた良寛が、夕暮れにここで一息
ついて、五合庵への道を登って行った
  
JR越後線・寺泊てらどまり駅の南から国上山を望む
分水町にある良寛資料館の詩碑分水資料館の内部
詩碑 我が庵を訪ねて来ませ
    あしびきの山の紅葉を手折りがてらに
資料館前の良寛像

良寛生誕の地 出雲崎いづもざき

高台にある良寛記念から出雲崎の良寛堂を望む、日本海には母が生まれた佐渡も見える
良寛堂の裏に海に向かって良寛像がある「良寛和尚誕生之地」石碑と良寛堂
良寛の母が生まれた佐渡を望む良寛像良寛堂内部の石塔に持仏の石地蔵と歌がある
 いにしえにかはらぬものはありそみと
      むかひにみゆる佐渡のしまなり
出雲崎の良寛記念館良寛記念館の内部
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