未曽有の大洪水 横田切れ

 1896年(明治29年)信濃川流域に降り続いた雨で信濃川の水が増水し、7月22日橫田村など数カ所で堤防が決壊しました。多数の家屋や人名が失われ、西蒲原全域から新潟市にかけての一帯は約3ヶ月泥海と化し稲は全滅、米価格は高騰、人々はヒエガユをすすり、雑草を食べて飢えをしのいだといわれます。
               橫田破堤記念碑説明書きから抜粋

横田破堤記念碑 
 郷土豊穣の礎なり大河津分水 
     新潟県知事 平山郁夫書
左:洪水氾濫域 中:決壊状況 上記
右:信濃川洪水絵図 消滅
破堤個所は現在の燕市で大河津分水から
5㎞ほど下流にあたる
現在は広い水田が広がっている

横田切れの絵  長岡市下田氏所蔵横田切れの絵  長岡市下田氏所蔵
横田切れで水に浸かったエリア
越後平野のほぼ全域にわたった
横田破堤記念碑 農林大臣 坂田英一書
横田切れ公園 平成八年に横田切れ
100周年を記念して整備されたとある
横田切れ公園
破堤付近にある横田開拓記念碑
 新潟県知事 君 健男

1896年(明治29)以外にも
1757年(宝暦)にも横田切れがあった
横田切れをきっかけに政府は大河津分水工事
(第2期)を決定した

数字で見る横田切れの被害
死者:43名 浸水家屋:60,621棟 損壊家屋:10,822棟 冠水田畑:58,254ha
堤防決壊個所:874個所 堤防決壊延長:228㎞ 破壊橋梁:1,809個所
                       信濃川大河津資料館より

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