象山神社

 佐久間象山先生 境内の銘板より抜粋
佐久間象山は松平藩士、兵学者で、藩主松平幸貫の老中海防掛就任に伴い顧問に就き、幕末の動乱期「世界の日本」という視点から『海防八策』を上申、西洋式海軍の設置、育成を説いた。「理」に基づく国家づくりを提唱し、開国論、公武合体論を具申した。

 佐久間象山祭神の由緒書 抜粋
41歳 江戸木挽町に塾を開き、吉田松陰、小林逓三、勝海舟、坂本竜馬、橋本佐内などの維新の英才を輩出、ペリー来航国論沸騰の際、軍議役として横浜警備に当たる。
開国論を唱え横浜開港を主張、松陰密航事件に連座して投獄される。
54歳 元治元年(1864)幕府の命で京都へ上る。将軍家茂、一ツ橋慶喜、山階宮、中川宮に公武合体・開国を説いて、活躍中の7月11日三条木屋町で尊攘派の凶刃に倒れた。
その後4年にして明治維新の世を迎え、象山の尊王開国が具現された。

象山神社は松代城の南にある象山神社の鳥居
佐久間象山の像象山神社本殿
松平幸貫と佐久間象山(立像)と 
門下生の像左から 橋本佐内、坂本竜馬
勝海舟と吉田松陰、小林逓三郎

望岳賦 天保十二年(1841)31歳の時 
の作、富士山の気高く優美な姿を讃えて 
自分の理想と抱負を寄せた韻文の石碑

神社由緒書によると、大正十二年佐久間象山の殉難50年を契機に元大審院長の横田秀雄の主唱で神社建立が計画され、昭和十三年県社として創建されたとある。

望岳賦の韻文は漢文で読み切れていないが、機会を見て読み解きたい。

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