小諸城・懐古園

小諸城の起こりは、長享元年(1487)信濃守護小笠原氏の流れをくむ
大井光忠が現在の大手門北側に築いた鍋蓋城であるといわれている。
天文二十三年(1554)武田晴信(のちの信玄)が小諸城を拡張整備
天正十九年(1591)仙石秀久により改造をを経て現在の姿になった。
元禄十五年(1702)越後より牧野康重が入城、明治維新後廃棄処分になった。
旧藩士たちが資金を集めて払い受け、本丸跡に神社を祀り、懐古園と命名した。
園内説明書きより

小諸城は千曲川から切り立った崖の上にある戦国時代の遺構を残す城で、
国指定重要文化財の大手門と三ノ門、それに本丸跡の石垣が見られた。
近くには小諸本陣と脇本陣も残されていた。 2022年3月3日訪問

切り立った崖上にある小諸城の搦め手から、蛇行する千曲川をはるか下に望むことができた
千曲川対岸から崖上にある小諸城址を望む
藤村が「暮れ行けば浅間は見えず」と詠ん
だ 浅間山は城址の背後に姿を見せていた
小諸城の搦め手、水の手不明あかず御門の下はこの
ような断崖絶壁になっていて、千曲川側から
攻めることかなわずと昔の人は思ったと思う
本丸跡に建てられた懐古神社
水の手展望台 左後方に千曲川
天守台石垣

天守台の石垣上から馬場跡
ヤエべニシダレの古木が植えられていて、
「小諸八重紅枝垂」と名付けられていた
三の門 国指定重要文化財
2022年4月11日に訪れた時は桜が咲
いていたが、馬場跡にあるヤエべニ
シダレザクラを見る時間がなかった
三の門が懐古園の入口になっている


小諸城の正門の大手門 国指定の重要文化財
慶長十七年(1662)仙石秀久が小諸城を築 
いた時代の建築
大手門の裏側
二層入母屋造の楼門で、石垣と門が一体化 
していないのが特徴
小諸なる古城のほとり  雲白く遊子悲しむ 
緑なすはこべは萌えず 若草もしくによしなし
しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る

あたたかき光はあれど  野に満つる香りも知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青し
旅人の群れはいくつか  畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば浅間は見えず  歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の  岸近き宿に
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む
千曲川旅情の歌 島崎藤村の石碑            石碑の文字と一部違いあり
城の南に流れる千曲川は清流だ もどり橋から上流を望むなにか言われがありそうな橋の名前だ

北国街道の経路にには高田藩、上田藩、小諸藩の城下町があり、海野宿、鼠宿、坂木宿とともに
参勤交代に使用された。
小諸に本陣と脇本陣が残されていた。

小諸本陣 国指定重要文化財 工事中だった脇本陣

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