鳥屋野潟と親松排水機場

  亀田郷は東西南北約10kmで海面より低い土地が広がる約1万haの芦沼と呼ばれる地域でした。1948年(昭和23)栗ノ木排水機場が完成し、亀田郷の農業と暮らしは飛躍的に改善されましたが、1964年(昭和39)新潟地震を契機に栗ノ木排水機場の機能が低下したため、1968年(昭和43)に現在地に毎秒60m³の親松排水機場が建設されました。
 2007年(平成19)に更新された2台目親松排水機場は今も亀田郷を守る最も重要な排水施設で24時間休まず稼働しています。
                   新潟地域振興局

新潟市の中央部にある鳥屋野潟とやのがたには信濃川・阿賀野川・小阿賀野川に囲まれた低湿地の田畑や
地域の排水が流れ込んでいるが、鳥屋野潟の水位を海抜-2.5mに設定して1万haの土地を
護るために、親松排水機が24時間休まずに稼働している。

親松排水機場は国営亀田郷農業水利事業により
設置されたので農林水産省の管轄だった
親松排水機場 吸入側

信濃川への排水口親松排水機吐出側
鳥屋野潟からの水路 排水機の吸入側鳥屋野潟からの水路 約1.4kmの長さ
鳥屋野潟の穏やかな湖面 
煙突は北越コーポ製紙工場
紫竹排水機場跡付近 
旧友のOさん運転のボートで周遊
鳥屋野潟南 ビッグスワン(サッカー場)と桜並木 
訪れたのが2023年4月3日でソメイヨシノが満開だった
鳥屋野潟公園 ビッグスワンの西側にある鳥屋野潟公園 花見客で賑わっていた
鳥屋野潟北側にある安らぎの水環境の看板
手入れが行き届かず枯木と芦が見える
かって花見で賑わったホテルも休業になって、
周りの環境整備が必要な状態にある

 鳥屋野潟の見学には鳥屋野潟漁業協同組合のお世話でボートから潟を周遊しながら案内を頂くことができました。
 訪れたのが2023年4月3日でしたが、例年より早いソメイヨシノ満開のもとで、旧友のOさんから鳥屋野潟の現状と課題について伺い、さらに、寛永年間に加賀大聖寺から移り住んだ清五郎地区の人たちの開墾の苦労などをお聞きしました。

清五郎の一本松と石碑
加賀大聖寺から移住してきた八人について
の伝承が記されている



板合せ船
昭和20年~30年まで農耕用に使用されたと
記憶しているが、胸まで浸かっての農作業に
欠かせなかったのだろう
Oさんの話では清五郎地区の年貢米が免除さ
れたこともあったという

「水郷亀田郷のあゆみ」 親松排水機場のパンフレットより
昭和20年代以前:芦沼での農作業は胸まで浸かって行い、足踏み水車で排水
昭和20~30年代:栗ノ木排水機場が昭和23年に完成、鳥屋野潟の水位が90cm下がり、農耕牛馬の利用が可能になった
昭和30~40年代:昭和43年に親松排水機場が設置され、排水能力が増強されて、ほ場の整備や営農の機械化が進んだ
現在:基盤整備の進展に対応して営農のさらなる機械化や多角化が進んだ

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