阿賀野川は信濃川に合流していた

 江戸前期まで阿賀野川は松ヶ崎村の砂丘に阻まれて、現在の新潟市を流れる通船川の辺りを蛇行して流れ、信濃川河口付近に合流してから日本海に流れ出ていた。

 一方、阿賀野川に流入していた紫雲寺潟や加治川流域では洪水や水害が頻発していたため、その対策が必要だった。

享保10年(1725)阿賀野川は信濃川に合流して、日本海に流れていた   出典:みなとぴあ

 享保15年(1730)幕府は新発田藩に命じて、紫雲寺潟・加治川の洪水や水害対策として、松ヶ崎掘割の開削を行わせた。
 同年8月起工、10月に人工の水路が完成したが、翌年春雪解け水によって決壊した。決壊した掘割は現在の阿賀野川河口となった。 

松ヶ崎掘割 長さ385間(約700m) 川口75間(約136m)  出典:みなとぴあ
掘割決壊後抜けて本流になった川幅:160間~200間(約360m) 水深:2丈2尺~3丈(約9m)
水面はもはや海同然で荒波が立っていて、幕府は河口の締切は不可能と判断した。出展:みなとぴあ
                             

 以後、阿賀野川は、新潟空港の脇から直接日本海に流れるように
なった。このため、新潟湊には阿賀野川の水がほとんど流れなくな
り、湊が浅くなったり、阿賀野川方面からの舟が通れなくなってし
まった。そこで、かっての阿賀野川本流の跡を整備し、船が通れる
ようにしたのが、通船川の始まりになった。  
              山の下閘門排水機の概要から

  現在の通船川           国土地理院地形図

 通船川、栗ノ木川流域は、いわゆるゼロメートル地帯が多く、昭和
39年の新潟地震では甚大な浸水被害があった。その災害復旧にあたり、人工的に河川水位を低くする「低水路方式」とするため、山の下閘門排水機場と津島屋閘門排水機場を設け、信濃川と阿賀野川の水位に対し2m以上低くして管理している。  山の下閘門排水機の概要から  

現在の阿賀野川河口地形図  国土地理院阿賀野川から通船川分流
通船川入口の船溜まり通船川入口水門
津島屋閘門排水機場カワセミが生息している通船川
かわせみ橋現在の貯木場
新潟西港に到着した南洋材の保管場所に
なっていたが、2021年に終了した
2014年山の下閘門を曳行される筏
2021年に筏の曳行はなくなった 
「阿賀野川え~とこだ流域通信」の写真使用
西港から曳行されて貯木された
2014年当時の貯木状況
「阿賀野川え~とこだ流域通信」の写真使用
1998年に増強された新排水機場山ノ下閘門排水機場
新排水機場の吸入側で通船川と栗ノ木川が合流栗ノ木川
山の下閘門排水機場の吐出側
新潟西港経由信濃川へ
山の下閘門排水機場周りの写真
「たずねてみよう!山の下閘門排水機場」より

北越奇談に江戸時代後期の信濃川と阿賀野川の河口付近の様子が記されていたので、下記に紹介する。  著者:橘崑崙茂世 発行:文化九年春(1812年)
           昭和45年10月 野島出版復刻本より
備考
新川 信濃川
*信濃川源流を甲飛信としている、これは犀川(源流・槍ヶ岳)を含めている 
魚沼川一に大野川をはじめ万山の諸流 大野川は魚野川、それに破間川・佐梨川・水無川が合流
 して魚沼川と言ったのだろうか?
三川 信濃川、中ノ口川、西川? 
沼垂の裏、溜湛一里は別頁に沼垂潟の地名が見え、現在の栗ノ木川周辺を指すようだ
通舩の新渠つうせんのしんかわは現在の通船川辺りを指す、ここに二里の間に茶店があったという
阿賀川(阿賀野川)の源は荒海山であるが、それを日光山に含めていたようだ
阿賀川の川幅 当時2.2kmあり現在の2倍以上

北越奇談 
 河水は名におう新川しんせんその源、甲飛信の三州より出てすなわち千曲川なり、魚沼川一に大野川をはじめ万山の諸流ことごとくこれに合し、誠に千里の長流というべし。略 (三条)より三川にわかれて湊近く合す。
新潟より沼垂ぬったりの裏、溜湛りゅうたん一里にあまりて水涯を見ず、渺漫びょうまん海潮に入会する所あり。これより阿水あがみずにつづき通舩の新渠つうせんのしんかわあり、二里の間茶店あい連なる。
 阿賀川といえるはその源日光山より出て、奥州を会津山中の渓流ひとつに集まりて新川におとらぬ大江たいこうなり、海辺ちかくになりては松ヶ崎にわたる所千二百間(約2.2km)という。

タイトルとURLをコピーしました