阿賀野川の西岸にある小さな集落「沢海」の地で、江戸時代中期に農より身を起こし、やがて巨万の富を築き、越後随一の大地主となった一族が伊藤家である。
明治に入り、次第に農地の集積を計り、全盛期には1370余町歩(1370万m²)の田畑を所有、昭和期には県下一となり作徳米は三万俵余であった。明治15年から8年がかりで建てられた伊藤家の本邸は
敷地:8800坪(29,100m²) 建坪:1200坪(3,967m²)
部屋数:65 の純日本式住居である。
昭和21年「北方文化博物館」が創設され、これに全部が寄付された。
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| ①主屋棟 ②大広間棟 ③三楽亭 ④門土蔵・飯米蔵 ⑤離れ座敷 ⑥移築古民家 | 大広間は約100畳の書院造で大玄関と直結 敷居に桜材、柱に杉の四方柾、廊下に欅材 が使用されている |
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| 大広間から回遊式庭園 |
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| 回遊式庭園 銀閣寺ゆかりの庭師の田中泰阿弥が5年がかりで作庭 2023年11月9日に訪ねたが紅葉には早かった |
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| 門土蔵 大門と通用門があり、両側に土蔵がある | 大広間棟の手前が大玄関 |
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| 大広間の軒を支える杉丸桁 主屋棟にも ありその説明書きに長さ30m、目通り 36.4cmとあり、ほぼ同じ寸法と思われる | 大玄関は総欅造りで正月や冠婚葬祭時に 使用される |
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| 主屋棟の二階から大広間(平屋)と中庭を望む | 中庭を挟んで 左大広間棟、右主屋棟 |
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| 茶の間 三間続きで合わせると27畳 | 台所囲炉裏 六尺四方の囲炉裏には一度 で16人が座れるという |
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| 台所 右端に台所の囲炉裏があり、 左奥にかまどがある | 当時50人の従業員が働いていて、このかまど で60㎏(一俵)の米を毎朝炊いていたという |
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| 正三角形形の小亭で建坪11坪余の書斎兼茶室 | 三楽亭の柱、建具、畳のほとんどが 三角形やひし形の独創的な建物 |
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| 主屋棟の二階は女中や伊藤家の子供らが過ご して居た所で、現在は考古資料室になっている | 考古資料室には土地台帳や作徳取立帳など が展示されている |
ここは「北方博物館」と称するだけあって、大広間や主屋棟には掛軸や日本画などともに
焼物の銘品が飾られていた。
また集古館では今回初めての展示と銘打った唐三彩や唐の美人傭などの美術品が展示され、
さらにシルクロード関連の古代エジプト、ペルシャの古美術品までが展示されているのに
驚いた。
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| 古伊万里 | 鍋島 | 柿右衛門 |
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| 南京染付 | 唐三彩 | 加彩樹下美人傭 唐代7~9世紀 |
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| 王族胸像 左古代エジプト 5千年前 右アッシリア 3千年前 | 狩猟文タイル ペルシャ | 緑釉陶 銀火深鉢 ペルシャ |
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| 会津八一書簡 東京の落合の住宅を空襲で罹災 した後、新潟に帰郷して、伊藤文吉別邸に移り 住んだ時のお礼遅れのお詫び文書 昭和21年8月11日付け | 新潟市ににあった別邸は「南浜秋艸堂」 と呼ばれ、八一は昭和21年7月25日から 亡くなる31年11月30日までここに住んだ |
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| 現在集古館として唐三彩やエジプト・ペルシャ などの古美術の展示館になっている 屋根は置き屋根 | 集古館は元は飯米蔵で米を2000俵を備蓄 していた、天井まで積み上げられた俵が外壁 に直接触れて崩壊しないよう、格子風の 「俵止め」が組まれた、 また、屋根も通気性を良くするため置き屋根に なっている |































