海野宿・木曽義仲白鳥河原の勢揃い

 海野宿は千曲川に沿った北国街道にあり、小諸宿と上田宿の間にあった。成立は寛永  二年(1625)とされ、宿場時代の建物の多くは旅籠屋造りで、当時の面影をよく残し、  かつ養蚕業と蚕種業で栄えた明治時代以降の建物も残されているという。

 木曽義仲は治承五年(1181)海野宿にある白鳥神社前を流れる千曲川河原で挙兵し、 
上洛した寿永三年(1184)に征夷大将軍に任ぜられたが、十数日後に戦死したと     される。
                        

海野宿(うんのじゅく)

 海野宿は北国街道沿いにあり、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
宿場の東端に白鳥神社があり、街道のほぼ中央には用水が流れる。
宿場の東西には桝形が置かれ、その長さは約六町(650m)あった。

 宿場前に流れる千曲川は目と鼻の先にあり、その水面と街道の高さとは高低差がないのに、今まで水害に会わずに維持してきたのは不思議に思えた。 

海野宿にある説明書き
左の標識 重要伝統的建造物群保存地区
     北国街道 日本の道100選
東から海野宿を望む西から海野宿を望む 街道横に用水が流れる
白鳥神社に掲げられた横断幕に
 2025年 開宿400年と書かれていた
宿場の東端にある白鳥神社

木曾義仲白鳥河原の勢揃い

上記看板を抜粋
治承五年(1181)後白河法皇の第二王子、高倉宮以仁王の発した平家討伐の令旨に応
じ木曽で旗揚げした木曾義仲はここ白鳥神社前に広がる千曲川「白鳥河原」に挙兵しま
した。平家物語、源平盛衰記に語り継がれる「白鳥河原の勢揃」です。
義仲は途中平家大軍を撃破し破竹の勢いで京都に上洛。寿永三年(1184)征夷大将軍
に任ぜられるも、その十数日後、近江粟津で戦死、挙兵後わずか三年の悲運に終わり
す。
千曲川と目と鼻の先にある白鳥神社
ここは海野氏と真田氏の氏神さまだった



白鳥神社前を流れる現在の千曲川   
ここが白鳥河原でここに勢揃いしたのは木曽の  
家臣団と地元の海野氏を始めとする滋野一族を      
中心とした東信濃の豪族らで、その数二千記騎 
とも三千騎とも言われている
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