【 寄道 】北国街道・関川の関所

 北國街道は軽井沢の追分で中山道から分岐して、善光寺を経て越後高田に至る脇街道で終点は出雲崎とも、金沢ともいわれている。

 江戸幕府は全国に54カ所の関所を置いた。
ここは高田藩の有する越後三関の一つで、加賀藩などの参勤交代行列
と佐渡産の金の通り道のため、非常に重要な関所で取り調べが厳し
かったと言われている。

 「関川の関所」は信越国境の関川村にあり、この場所は千曲川や信濃川との直接の関りが
ないが、北國街道と千曲川とが関りが深いため、寄道として選んだ。

北國街道は
・佐渡の金銀を江戸まで輸送した道・加賀藩前田家をはじめ越後諸大名の参勤交代の道
・善光寺と戸隠神社参拝詣での道・信州へ塩や海産物、越後には農産物の輸送の道として
利用された。
なお、金銀の輸送路は佐渡三道と呼ばれた北國街道、三国街道、会津街道の中から
何れか一つのルートが選ばれた。
絵図の左手に御番所があって、その下に関川が流れている。
関川は妙高山の南西の笹ヶ峰から流れ出て、直江津で日本海に注がれる。
関川にかかる一の橋 一の橋手前にある関川の関所入口
関川の関所関所は藩士、足軽数名と現地採用の郷足軽
など十数名が勤務し、その中に「出女」の取
り調べのため、常勤の人見女がいました・・
一の橋の下に流れる関川関所の裏にかかる信越大橋は現在でも
長野県と新潟県の県境になっている
取り調べ:
手形改め、鉄砲改め、女手形、女改め
口留番所:ここを通行する物資からある程度の
運上金を徴収することを藩に認めた
道の歴史館:文献資料などを展示御金荷おかねに:佐渡金山から掘り出された金銀は貨幣
に鋳造され、御金荷として箱詰めされ、小木港
から出雲崎に荷揚げされて陸路を搬送された
1774年(安政3)に馬150頭が金銀200箱を
運んだ記録が残っている
本陣、旅籠、木賃宿などの役割旅の携行品:キセルと煙草入れ、矢立
路銀いれ、印籠、がん灯
脇差上記以外に提灯とローソク、付け木、小売り
わらじなど
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